內容簡介
內容簡介 なぜ人生に勉強は必要なのか――、70年前の太宰治が熱弁をふるう「正義と微笑」(本書収録)。「勉強は何の役に立つのか?」「勉強しないと、どんな人間になってしまうのか?」「勉強の訓練の底に残るひとつかみの砂金」とは? 令和日本によみがえる、太宰の熱いメッセージ!この二作は中年になった作者の青春への挽歌であり、恋歌であるのだ―奥野健男「健康道場」という風変りな結核療養所で、迫り来る死におびえながらも、病気と闘い明るくせいいっぱい生きる少年と、彼を囲む善意の人々との交歓を、書簡形式を用いて描いた表題作。社会への門出に当って揺れ動く中学生の内面を、日記形式で巧みに表現した「正義と微笑」。いずれも、著者の年少の友の、実際の日記を素材とした作品で、太宰文学に珍しい明るく希望にみちた青春小説。「正義と微笑」は戦争中の昭和17年に書き下ろし長編として発表され、「パンドラの匣」は戦後の昭和20年10月より「河北新報」に連載された。ともに太宰30代の作品。目次正義と微笑パンドラの匣解説 奥野健男本書収録「正義と微笑」より冒頭四月十六日。金曜日。すごい風だ。東京の春は、からっ風が強くて不愉快だ。埃が部屋の中にまで襲来し、机の上はざらざら、頬ぺたも埃だらけ、いやな気持だ。これを書き終えたら、風呂へはいろう。背中にまで埃が忍び込んでいるような気持で、やり切れない。僕は、きょうから日記をつける。このごろの自分の一日一日が、なんだか、とても重大なもののような気がして来たからである。本書収録「パンドラの匣」より作者の言葉この小説は、「健康道場」と称する或る療養所で病いと闘っている二十歳の男の子から、その親友に宛てた手紙の形式になっている。手紙の形式の小説は、これまでの新聞小説には前例が少かったのではなかろうかと思われる。だから、読者も、はじめの四、五回は少し勝手が違ってまごつくかも知れないが、しかし、手紙の形式はまた、現実感が濃いので、昔から外国に於いても日本に於いても、多くの作者に依って試みられて来たものである。「パンドラの匣」という題に就ては、明日のこの小説の第一回に於て書き記してある筈だし、此処で申上げて置きたい事は、もう何も無い。 甚だぶあいそな前口上でいけないが、しかし、こんなぶあいそな挨拶をする男の書く小説が案外面白い事がある。(昭和二十年秋、河北新報に連載の際に読者になせる作者の言葉による。)本書収録「パンドラの匣」より君はギリシャ神話のパンドラの匣という物語をご存じだろう。あけてはならぬ匣をあけたばかりに、病苦、悲哀、嫉妬、貪慾、猜疑、陰険、飢餓、憎悪など、あらゆる不吉の虫が這い出し、空を覆ってぶんぶん飛び廻り、それ以来、人間は永遠に不幸に悶えなければならなくなったが、しかし、その匣の隅に、けし粒ほどの小さい光る石が残っていて、その石に幽かに「希望」という字が書かれていたという話。(「幕ひらく1」)本書「解説」より(本書収録の二作品は)永遠の青春文学と言われる太宰治の作品の中でも、青春小説という名にもっともふさわしい作品になっている。作者は意識して、青春の正義心、反抗心、純粋さ、フレキシビリティ、不安、懊悩、挫折、よろこび、勇気、生命力、虚栄、エキストリミズム(極端性)などを、ここで取り上げ、強調している。――奥野健男(文芸評論家)太宰治(1909-1948)青森県金木村(現・五所川原市金木町)生れ。本名は津島修治。東大仏文科中退。在学中、非合法運動に関係するが、脱落。酒場の女性と鎌倉の小動崎で心中をはかり、ひとり助かる。1935(昭和10)年、「逆行」が、第1回芥川賞の次席となり、翌年、第一創作集『晩年』を刊行。この頃、パビナール中毒に悩む。1939年、井伏鱒二の世話で石原美知子と結婚、平静をえて「富嶽百景」など多くの佳作を書く。戦後、『斜陽』などで流行作家となるが、『人間失格』を残し山崎富栄と玉川上水で入水自殺。"