作者介紹
作者介紹 ミリアム・ブラトゥ・ハンセンミリアム・ブラトゥ・ハンセン(Miriam Bratu Hansen)1949年生まれ。フランクフルト・ゲーテ大学でアメリカ文学を専攻。エズラ・パウンド研究で博士号を取得後、渡米。イェール大学およびラトガース大学で教鞭をとり、1990年よりシカゴ大学英文科教授。映画メディア学科の創設に尽力する。フランクフルト学派とメディアに関する研究を精力的に発表するかたわら、初期映画や映画とモダニティをめぐる論考を幅広く執筆。著書に、本書のほか、『バベル・アンド・バビロン──アメリカ無声映画における観客』(1991)。主な論考に、オスカー・ネークト アレクサンダー・クルーゲ『公共圏と経験──ブルジョワ公共圏とプロレタリア公共圏の分析にむけて』英語版序文(1993)、「感覚の大量生産──ヴァナキュラー・モダニズムとしての古典的映画」(1999;邦訳:2010)、「ヴァナキュラー・モダニズム──グローバルな規模で映画を跡づける」(2009)など。本書脱稿直後の2011年2月に逝去。竹峰義和竹峰 義和(タケミネ ヨシカズ)1974年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。専門は、ドイツ思想史、映像文化論。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。ドイツ思想史・映像文化論専攻。著書に、『アドルノ、複製技術へのまなざし──「知覚」のアクチュアリティ』(青弓社)、『〈救済〉のメーディウム──ベンヤミン、アドルノ、クルーゲ』(東京大学出版会)。訳書に、クラカウアー『映画の理論──物理的現実の救済』(東京大学出版会)ほか。共訳書に、アウエルバッハ『文学と戦争──ヨーロッパの歴史と文化をめぐる亡命者の思索(1938-1947)』(法政大学出版局)ほか。滝浪佑紀滝浪 佑紀(タキナミ ユウキ)1977年生まれ。シカゴ大学映画メディア学科博士課程修了。専門は、映画研究、メディア論。現在、立教大学現代心理学部映像身体学科教授。著書に、『小津安二郎 サイレント映画の美学』(慶應義塾大学出版会)。論文に、「小津安二郎作品における認めることの主題──『晩春』と『麦秋』の比較」(『立教映像身体学研究』第12号)ほか。