內容簡介
內容簡介 【概要】近年、「アジアの優等生」として語られがちな台湾。だが、本当にそれだけが台湾の姿なのだろうか。「台湾」についての語りと記憶の交差点から見えてきたのは、これまで見過ごされてきた多層的な台湾の現在地だった。そしてさまざまな記憶を共有する存在として、日本人はいま「家族」=台湾を知る必要がある──。知っているようで知らない「隣人」の姿を現地在住14年の日本人研究者が描き出す!日本の統治以前の台湾では、現在のように台湾という「まとまり」が意識されていたわけではなく、住んでいる人々はみなバラバラでした。帝国主義の時代に近代的なまなざしを向けることによって、台湾にその「まとまり」を生み出したのは日本人です。ですから、台湾人が台湾という「まとまり」を考えるとき、すなわち「台湾らしさ」を考えようとするとき、どうしても日本を意識せざるを得ないのです。ところが、台湾人にとっては日本とはそのような(良くも悪くも)特別な記憶であるにもかかわらず、私たち日本人は、今日では多くの人々がそのことを忘れてしまっています。現代の台湾人が中国語を話すというだけで、あたかも台湾がはるか昔からずっと中国の一画だったかのようで、どこかまったく別の文化と価値観を持つ国のように感じている人もすくなくありません。台湾が中国語を話す国になったのは、太平洋戦争が終結してからだったにもかかわらずです。──「はじめに」より【目次】はじめに第一章 台湾へのまなざし第二章 台湾のはじまり第三章 その言葉はだれのものか──言語をめぐるカルチュラル・ポリティクス第四章 「台湾らしさ」とはなにか──抵抗の諸相第五章 「台湾らしさ」とはなにか──包摂の諸相終章 「家族」としての台湾あとがき 台湾在住の日本人である筆者が、歴史上内部に複雑な多様性を抱えざるを得なかった「台湾」という概念がどう作られてきたのかを描く。